自由民主
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2008年2月12日 16:33
新年度からさらに310億円の緊急措置
障害者の人間としての尊厳が守られ、真の自立と地域の中で共生できる社会を目指してつくられた障害者自立支援法ですが、同法を実行に移す際、急激な負担増に対し批判があったのでわが党は、昨年、総額1200億円の特別対策をスタートさせました。昨年末、310億円の緊急措置を決定し、引き続き、見直しを進めていく方針です。障害者福祉の充実は社会保障の原点です。障害者の方々が人間としての生きがいを持って暮らせるよう、わが党は今後も全力を挙げる決意です。
低所得障害者の負担が軽減
◇居宅・通所サービスの負担の上限がこれまでの半分以下に。例えば、通所サービスの負担上限は1500円に引き下がります。大半の家庭が軽減措置の対象に
◇障害者が障害福祉サービスを利用するときの負担上限額の算定は「世帯単位」から「個人単位」に。ほとんどの家庭の負担が軽くなります。障害者を抱える家庭の負担も軽減
◇負担が軽くなる家庭は、従来の年収600万円程度までから800万円程度までに拡大。障害児のいる8割以上の家庭の負担が軽くなります。また、これにより負担の上限もこれまでの半分以下になります。

障害者福祉は社会保障の原点
福祉サービスを行う事業者を強力支援

障害福祉施策について障害者団体からヒアリングを行う党障害者福祉委員会
<緊急的な改善を実施します>
サービスの低下や職員の処遇悪化がないよう、事業者の安定収入を確保することに努めます。通所サービス事業者の収入改善
通所サービスにかかる費用の単価を約4%引き上げます。通所サービスの受け入れ可能人数の拡大
1日当たり定員の120%まで(現行)→150%まで。過去3ヶ月平均で定員110%まで(現行)→125%まで、に拡大します。入所サービス事業者の支援
入所施設を利用している障害者が入院・外泊した場合の報酬加算部分を拡充します。<基金の使途を拡充します>
障害者の就労を支援する事業者への支援
入所施設を利用している障害者が入院・外泊した場合の報酬加算部分を拡充します。ケアホームにおける対応
ケアホームに重度障害者を受け入れた場合に助成します。併せて、ケアホームで特例的にホームヘルプを利用できる者の範囲を拡大します。地域で大きな役割を果たす事業者への支援
障害者の利用する施設などが障害者への地域住民の理解や支援力を高める活動をする場合には助成します。小規模作業者の法定事業への移行を推進
小規模作業所が就労継続支援事業など新体系へ移行することを促進します(例えばB型への移行の場合、定員を20名から10名へ緩和)
福祉工場で働く障害者たち
(PANA提供)※障害者福祉サービス費用の額(報酬)の改定
サービス向上と良質な人材確保のため平成21年4月に改定します。画期的な減価償却割り増し制度の創設
障害者の「働く場」への発注増加の企業が対象
企業が就労継続支援事業者など障害者の「働く場」に前年度より発注を増加させた場合には、減価償却資産の割り増し償却を認めます。増加額が大きいほど、大きな優遇
割り増しして償却される限度額は前年度からの発注増加額
※5年間(平成20年4月1日~25年3月31日)の時限措置-
2007年3月20日 23:01
昨年四月から施行された障害者自立支援法を円滑に施行するため、総額1200億円の特別対策が講じられることになりました。この特別対策の予算化に尽力した党障害者福祉委員会の木村義雄委員長と、党障害者の小規模作業所を支援する議員連盟の会長を務める岩永峯一副幹事長に、社会福祉法人日本身体障害者団体連合会常任理事の森祐司氏、財団法人全国精神障害者家族会連合会専務理事の江上義盛氏、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事の松友了氏が"クリック"しました。
クリックする人森祐司(社会福祉法人日本身体障害者団体連合会常任理事)
江上義盛(財団法人全国精神障害者家族会連合会専務理事)
松友了(社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事)クリックされる人
木村義雄(党障害者福祉委員長)
岩永峯一(党副幹事長)社会福祉は社会保障の原点です
木村義雄 昨年四月に障害者自立支援法(以下支援法)が一部施行されてから、間もなく一年を迎えようとしています。この法律は成立前から激しい議論が行われ、施行されてからもさまざまな問題が指摘されてきた経緯があります。
わが党の中に以前から、山崎拓先生が会長をしておられる障害者保健福祉推進議員連盟や、岩永峯一先生が会長をやっておられる、障害者を受け入れている小規模作業所を支援する議員連盟などがありますが、支援法施行後に発生したさまざまな問題を解決するために、党を挙げて取り組むということで、わが党の社会保障制度調査会(会長・鈴木俊一衆院議員)の中に、障害者福祉委員会を作り、私が委員長を仰せつかりました。
委員会は昨年十月から活動を始め、障害者福祉はわが国の社会保障の原点であるという認識に立ち、支援法の円滑な施行を図るための特別対策に取り組みました。その結果、特別対策として、平成十八年度補正予算で九百六十億円、平成十九年度と二十年度予算で二百四十億円、総額一千二百億円の措置が決まりました。岩永峯一 私が会長を務める小規模作業所支援議連には、約百五十人の議員が参加しています。支援法が施行された後、参加議員を通して、支援法の趣旨には賛成だが、急激に新法の方向に移行するのは難しい、という小規模作業所の声が、全国各地から上がってきました。全国には六千の小規模作業所があり、多くの方々が不安を持たれたのです。
昨年十月に、皆さん方の三団体から「小規模作業所の発展に関する緊急要望書」が出されました。私たちは議連ですから、最終的に政府に要望するために、障害者福祉委員会の委員長である木村義雄先生に五つの要望をさせていただきました。
木村先生には大変ご尽力いただき、直ちに新法に移行できない作業所への定額百十万円の助成や、新法に移行するための施設改修費などハード面での助成が行われるなど、結果を出せたことは、私としてもうれしい限りでした。小規模作業所の皆さんも、将来への不安が解消され、ホッとされていることと思います。森 祐司 施行された支援法には、私たちの要望をできる限り盛り込んでいただきましたが、施行後、現場サイドに不安が出たことも事実です。そこで私ども三団体でも、いろいろと対応を話し合っていました。
そこで私たち三団体に二団体を加えた五団体は、各論部分の見直しに対する要望書を作成し、岩永先生にご相談したところ、自民党に新たな障害者福祉委員会ができたので、委員長の木村先生に相談したらどうかという示唆をいただき、木村先生に連絡を取りました。
すると、「すぐに説明に来てください」と言われ、要望書を持って飛び込んだわけです。そうしたら、短期間のうちに、総額一千二百億円の措置が講じられることになり、感激致しました。利用者の負担軽減
江上義盛 支援法の施行に伴い、サービス料の利用者負担が生じるなど、障害者の負担が増えるというような問題が発生しました。精神障害者の場合、精神科の治療を受け、リハビリを行い、薬を飲みながら、小規模作業所に行ったりしますから、利用料などが上がると、その負担が重くのしかかってくるのです。
私たち三団体は、負担が現状より悪化しないことを条件に支援法に賛成してきたわけですが、フタを開けてみたら、施設利用料の負担や、自立支援医療費の負担などが重くなり、精神障害者にも不安が広がりました。しかし今回、特別対策が講じられることになり、精神障害者もその家族も大変喜んでいます。松友 了 私たちは構造改革の一環として、社会福祉の基礎構造改革を支持してきました。規制緩和をして、きちんとした契約によって、民間の法人に障害者福祉を担ってもらう、という考え方を評価してきました。その流れを受けて施行された支援法の理念は間違っていないと思います。
ただ、法律そのものには具体論はなかったのですが、運用段階になってくると、現状ではかなり厳しすぎる面がありました。法の理念を変える必要はないですが、法律がスムーズに運用されるために、もう少し予算面で配慮してほしいという要望が、小規模作業所サイドからも強くありました。私たちの声を受け止めた内容の特別対策が決定されたことで、支援法に関する不安はかなり解消されましたね。木村 支援法だけがひとり歩きしていたら、障害者の皆さんにかえって負担を強いる恐れがあったことは確かで、私たちの障害者福祉委員会が受け皿となって、昨年末の予算編成ぎりぎりの時点で、総額一千二百億円の特別措置を講ずることができたことは良かったと思います。障害者の皆さん、現場の皆さん、団体の皆さんと私たちの呼吸がぴったり合い、そこに厚生労働省も加わったからこそ、予算編成に間に合ったわけです。
厳しい姿勢の財政当局を説得できたのは、中川秀直幹事長、中川昭一政調会長らわが党幹部の理解と政権与党・公明党の協力のもと、皆さん、私たち、厚労省でしっかりとした話し合いを行い、・利用者の負担軽減・事業者への対応・支援法施行に当たっての促進措置・・を三本柱として、きちんと中身を積み上げて持っていったからだと思います。江上 従来は、日身連、全家連、育成会などが、個別に政治家の先生方や厚労省に要望を出していました。それが今回は連携して運動を展開しました。これは日本の障害者支援の運動の中で、画期的なことでした。
森 支援法施行後、利用者の問題、事業者の問題、新法移行の問題、自治体の格差の問題などが指摘されましたが、今回の特別対策では、問題点が非常によく整理され、それぞれに対応策が打たれていて感心しました。
昨年の十二月二十二日に、私たちは木村先生の障害者福祉委員会に呼ばれ、支援法円滑施行特別対策の発表を聞いたわけですが、大勢の国会議員からざわめきが起きました。先生方も地元で支援法についていろいろな批判や不安を耳にされて、困っておられたんだと思います。そこに思い切った手が打たれ、「木村先生は救世主だ」という声も聞きましたよ(笑)。
激変緩和策としての助成江上 支援法施行による激変緩和策として、利用者の自己負担が二分の一から四分の一になったことは、大変助かりました。また、約二百六十万人の精神障害者の家族は低所得者も多く、軽減対象世帯が収入ベースで六百万円まで拡大されたことも、喜ぶべき措置でした。
松友 私はまず、自民党が基本的な構造改革を提起したことを評価します。戦後、さまざまな社会保障政策が積み上げられてきましたが、これを持続し、さらに発展させるためには、従来の考え方では駄目で、構造改革が必要でした。自民党は政権政党として、責任政党として、そこに手を付けました。そのことを高く評価します。
確かに、支援法が施行された直後には、「それ見たことか」といった批判もありました。しかし、その指摘された問題に対して、政府・自民党が速やかに対応されたことは、素晴らしかったと思います。木村 法律自体がまずかったということではなく、財政当局が厳しい中身を押しつけてきたことに問題があったんです。それに対して、政権与党がおかしいと判断して、速やかに追加措置を講じたということです。
岩永 私には一つ、反省点があります。今回の支援法は、戦後に行われた福祉の改革の中でも屈指の大きな改革だったと思います。ただ今回は、行政と現場の間に若干のかい離がありました。だから、支援法施行後、一挙に反発が出ました。平素から現場の声が、市町村、都道府県、国に伝わってくるシステムが必要だと感じました。
今回の特別対策で、新法への移行のための支援策として、コンサルタントの配置、専門家の派遣など、人的支援が盛り込まれたことで、現場の声が市町村、都道府県、国に届けられるシステムができるという意味において大きな成果です。これによって、支援法はいよいよ現場の意見を取り入れながら、充実していく方向へ進むと思います。江上 私は全国各地を回っていますが、過疎地域や離島の作業所は、定員五、六人というところが大半です。そういう作業所が、急に「十人いないと駄目ですよ」と言われても、対応できないのです。そこで、日身連と全家連が一緒にやりなさい、全家連と育成会が一緒にやりなさい、というメチャクチャな声まで出てきました。そんな混乱を防ぐために、新法への移行期間が平成二十一年三月まで延ばされたことはよかったと思います。そしてこの機会に四十七都道府県中、家族会が法人化されていない二十一都府県を法人化していきたいので先生方のご指導をお願いします。
岩永 各地の作業所の声を聞いていますと、これから自立していくための仕事がない、という切実な声が多くあります。作業所が今後、きちっとした仕事をどう探していくかが、一つのポイントです。
市町村の行政が小規模作業所に優先的に仕事を出してもらうとか、身障者雇用の枠を達成していない企業に仕事を発注してもらうとか、そういう新しい仕組みができないものか、いま模索しているところです。
末端の事務所と手をつなぎ現場の声を政治に森 労働と福祉の接点の問題は、非常に難しい面があります。あまり「職業、職業」と強調すると、方向を誤ります。障害者は、労働のできない人が大多数ですからね。
日本の障害者行政の始まりは、お金を払える人が中心でした。ですから、身障者が先になり、知的障害者は後回しにされてきました。これからの障害者福祉は、障害の重い人たちを忘れてはならないと思います。松友 それはもちろんです。私たちが今回の支援法を評価した一つの理由が「就労支援」なんです。これまで障害者の就労を支援する具体的な仕掛け、政策は不十分でした。
例えば先日、ある小規模作業所が労働基準法違反を指摘されました。障害者でも働いている以上、労働だとみなされたわけです。つまり、労働なのか、訓練・福祉なのか、その線引きが明確にされていなかったのです。
小規模作業所で障害者にやってもらっている仕事を労働と位置づけるのであれば、きちんと対価を支払う仕組みを考えるべきです。日本はその部分がまだまだ未成熟で、十分な対価が支払われていないのが現状です。その部分で、国民も、障害者も、支援団体も、財界・経営者サイドも理解し、賛同できる仕組みを考えていただきたいと思います。江上 精神障害者にとって、労働に従事するということは、非常に厳しいことです。就労している人は、一割にも満たない状況です。作業所で仕事ができれば生きがいにもなるので、それが一日八時間過ごせる場所になれば、非常にありがたいし、それが就労につながれば、さらに望ましいと思います。
木村 支援法については、三年後に見直すことになっていますが、支援法を成功させ、充実させるために「こうしてほしい」という要望があれば、聞かせてください。
森 三年後に見直す場合、理念ばかりでなく、今日をどう生きるかといった現場の切実な思いにも配慮していただきたい。許されるなら、木村先生に引き続き委員長を務めていただき、岩永先生の議連も継続して活動してほしいと願っています。私たち三団体も、地元の議員に、岩永先生の議連に入っていただくよう、声を掛けているところです。
岩永 私どもの議連に入っていただくと、すぐに地元の小規模作業所を視察してもらい、末端の事業所と手をつないでいけるよう、現場の声を具体的に日々の政治活動に生かしていきます。
森 小規模作業所問題のポイントは、障害者が地域生活ができ、社会参加ができるようなシステム作りです。まだその姿が見えないというのが実情です。
松友 小規模作業所はなるべく早い時期に法定施設化し、個別給付化に持って行き、雇用と福祉のシステムをきちんと整えていくことが重要だと思います。そこを基盤にステップアップしていくことが大事です。木村 いずれに致しましても、障害者福祉は社会保障の原点だという視点から、今後も政権政党として、障害者福祉に真剣に取り組んでいくと同時に、支援法の充実に尽力するなど、皆さまのご期待に不断に応えていきたいと思います。
岩永 私も小規模作業所支援議連の会長として、全国六千の小規模作業所が、ハンディキャップを持った多くの方々の唯一の働く場所として十分機能するよう、全力を注ぎたいと思っています。
クリックを終えて森 祐司氏
今回は非常に良いタイミングで特別対策の予算を付けていただいたと、本当に感謝しています。これをバネにして、障害者の問題にさらに取り組んでいただけるものと、大いに期待しています。障害者の自立支援についてはまだまだ課題が山積しており、これからが勝負です。われわれも研さんしながら、要望していくつもりです。江上義盛氏
精神障害者は病院に通い、薬を飲みながら治療しています。そういう中で、小規模作業所に通ったり、施設に行ったりしているわけです。その意味では、医療費は大きな問題です。激変緩和策として、利用料については配慮していただきましたが、医療費についても関心を持ってやっていただきたいと思います。松友 了氏
支援法については、理念と実態のかい離という厳しい現実がありますが、何らかの政治的対応が取られると期待していました。きちっと激変緩和策を講じていただき、感謝しています。理念は正しいわけですから、激変緩和策だけでなく、現実がその理念に少しでも近づき、発展していくよう、これからも尽力していただきたいと思います。-
2006年5月 1日 23:00
木村義雄氏の出身地、香川県といえば旧讃岐国。讃岐といえば、まず浮かぶのが「讃岐うどん」。 味の良さは、うどんに適した良質の小麦粉を材料に土三寒六(夏は塩一に水三、冬は塩一に水六)という独自の塩加減から生まれ、麺はコシが強く艶があるのが特徴だ。
「うどんの場合には、コシの良し悪しで美味さが決まるけれど、このコシの良さはね―」
話が讃岐うどんに及ぶと、木村氏は嬉しそうに目を細め言葉を続けた。
「粘りゴシじゃないんだよ。のどを越したときの良さ、すなわちのど越し、これが讃岐うどんの良さなんだ」と微笑む。
小泉総理に舌鼓を打たせた、この讃岐うどんは、水や塩加減、麺の太さも家々で違うが、旨い讃岐うどんを育ててきたのは、小麦の栽培に適した香川の気候・風土と、手打ちうどんの技を伝えてきた人々だ。家庭で育ったうどん作りを次の世代に伝えようと、各地でうどん教室が開かれている。
香川は「讃岐うどん」とともに、魚好きには堪えられない魚天国でもある。瀬戸内海から獲れたての四季折々、旬の地魚が驚くほど安く手に入る。それも「いただきさん」という行商人が、リアカーに鮮魚を積んで戸口までやって来て、頼めば料理の下ごしらえまでしてくれるという。
なぜ「いただきさん」と呼ぶのか。話は650年前に遡る。南北朝の騒乱で敗れた後醍醐天皇の皇女「糸より姫」が西浜(現高松漁港付近)に流れ着き、この地の漁師と夫婦になった。姫は、暮らしを助けるために魚を売り歩いたそうだが、その際に魚を入れた桶を頭に乗せた(いただいた)ことから、この呼び名がついたのだとか。「さん」付けで呼ぶのは、この高貴な姫への畏敬の念によるものだろう。これからはマナガツオ、スズキ、カタクチイワシ、小アジ、べラなどの地魚が漁師の奥さんが務める「いただきさん」によって運ばれてくる。由緒ある「いただきさん」は、「天然の生け簀」と呼ばれる瀬戸内海を控えた香川の鮮魚文化の伝導師と言える。木村氏も地元に帰ると「いただきさん」のお世話になっている。
趣味は旅行、読書、高性能双眼鏡で星を眺めること。
座右の銘は「意志あるところ道は通ず」。
香川県さぬき市津田町出身。連続当選7回
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2006年5月 1日 22:59
香川県議会議員選挙は、長老県議の引退に伴う指名後継であったが、選挙戦は激しい戦いとなった。当時34歳にして独身だった木村氏は、いわれのない怪文書をばら撒かれ初戦は悩まされ続けた。
「その怪文書は車のワイパーに挟まれているので、有権者は内容を見ざるを得ない。熾烈な戦いでした」。
ところが、有権者はきちんと見ていてくれた。初陣を見事にトップ当選で飾ったのだ。
しかし、それから後、父・武千代氏が脳梗塞で倒れ、左半身不随の身となった。県議当選から3年、任期を1年弱残した昭和61年7月に行われた総選挙に出馬すべく、父の後を継ぎ国政に転じることになる。
「私が初当選した頃の衆院委員会は建設、運輸、商工が花形で、新人には高嶺の花でした。そこで社会労働委員会に籍を置いたのですが、それが縁でこの分野の行政に長く携わることになりました」
木村氏は衆院厚生委員長や厚生労働副大臣などを歴任し、厚生労働行政には初当選以来、全力投球してきた。今も長い経験を生かして少子高齢化対策などに真剣に取り組むとともに、党広報本部長として自民党の中枢で新たな重責を担いフル回転している。
党広報本部長は、幹事長、総務会長、政務調査会長らと共に「党七役」と呼ばれ、党内でも要職として知られている。広報本部には現在、「広報局」「報道局」「文化・スポーツ局」「出版局」「新聞局」「マルチメディア局」「写真・映像局」などが置かれ、その活動は多岐に亘り、各局の局長、次長の国会議員を合わせると党内最大部署の一つとなっている。木村氏は、その党の広報活動全般を統括する責任者として采配を振るう。メディアの多様化が進み、新聞・テレビなどで自民党の姿が多種多様に報じられているなか、広報本部の役割・任務もより重要なものとなっている。
「私は、先人達が築き上げてきた自由民主党のブランドすなわち伝統と文化を受け継ぎながら、これまでの経験を活かして、さらに時代を先取りした広報活動を強力に推進していきたいと思っています」
木村氏はこう決意を述べるが、政党における広報活動の重要性は日増しに高まり、その良し悪しが、いまや選挙の帰趨(きすう)を決すると言っても過言ではない。先の総選挙でも、「自民党が打ち出した広報戦略が、歴史的な圧勝の一因となった」との分析がある。大所帯の広報本部のトップに立ち、党七役の一人として活躍する木村氏の存在感は、党内でますます高まっている。-
2006年5月 1日 22:58
父親の選挙の苦労を見ているので、大学を出て社会人になるまで政治の道に入る気持ちはなかったと語る木村氏。中央大学で会計学を学び、その知識を生かそうと昭和47年、住友銀行に入行した。
英語の成績が良かったのだろう。「これからは国際化時代になるから英語を学べ」と、新人行員の木村氏に白羽の矢が立ち、入行早々『日米会話学院』に半年間通わせてくれたという。配属先の支店に戻るとその語学力を生かして外国為替の担当になった。そして、船荷証券(略B/L)で融資の仕事をしているときのことである。上司からは厳密にチェックするように指示されていたので、いろいろと調査し融資の決定を見送った。だが、そのときに、自分が接している取引先企業は一社なのに、その相手企業には、何社もが係っていることを知る。なんと銀行の支店窓口に取引先の下請け会社の人達が押しかけて来たのである。木村氏は閉口したが、融資を受けられるか受けられないかは、その人達の生活にも直接影響するのである。この現実に接したとき、木村氏は改めて、「会社は一社で成りたってはいないのだ。人も一人で生きているのではない」と、現実の社会の厳しさをひしひしと感じたという。ようやく上司の了解を得て融資は実行されたが、このときの経験はいまに生きていると語る。
その後、入行三年目に調査部の配属となったが、ここは銀行の中枢である企画部への登竜門とされていた。この調査部には、企業調査と経済調査があり、木村義雄氏は米国経済調査担当に配属された。ここでは、毎朝早く出勤して、各外国通信社から送られてくるファクシミリを選別し、経済金融の関連記事を切り貼りし、上司に上げることから朝の仕事が始まる。「この調査部の経験から、GNPの算出方法やその国の経済の見方、金融の重要性、マクロ経済などを学ぶことができました。こういった専門分野を若いうちに経験できたことは、生涯の財産です」と、振り返る。
しかし、昭和50年8月、父親の後援会から、「そろそろ後継者として政治の実践を勉強したほうがよい」と説得され、政治の道を目指すことになった。
「日米会話学院にも派遣され英検一級を取り、海外研修にも行かせてもらいましたが、わずかまる三年強で辞めてしまったので先輩行員からよく叱られました」。
住友銀行を円満退社した木村義雄氏は、父・武千代代議士の秘書として本格的に政治の研鑽を積み、昭和58年、請われて香川県議会議員選挙に出馬する。
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2006年5月 1日 22:56

地元の支援者たちと一緒に(衆議院議員応接室にて、2004年3月)木村義雄氏の母方の祖父・上原平太郎は、日露戦争に従軍し、陸軍中将まで登りつめた。当時は薩長でなければ陸軍大将にはなれない時代であったため、藩閥ではなかったこの方の地位は、並の人間では就けない階級である。
昭和の初めまで香川県は大臣も大将も輩出しなかったが、三土忠造が初めて、田中義一内閣の文相となった。その三土忠造に仕えた父を持つ木村氏にも、明治人の気骨のようなものが受け継がれている。更に、中国の歴史が好きだと語る木村氏は、その歴史から影響を受けた日本文化のあり方を、いま改めて問い直している。
「我が国固有の伝統を現代に生かすためにも、その祖である大陸の歴史を学ぶことは大切なことです」
と語るが、国会議員として多方面に亘って活躍し、多忙な生活を送る、その体力はどこで養われたのだろうか。
それは、若い頃からの山登りによるという。大学時代には、山岳部に所属していたわけではなかったが、仲間とともに、また時には一人で、数々の登山に挑んできた。しかし、谷川岳にチャレンジしたときは、三回挑んで三回とも行けず終いだった。その時の残念さは今でも心に残っていると語る。
「初めて登ったときには、途中から雪が酷くなり、ラッセルしても、普段であれば30分で行ける道のりが2時間かかっても行かれなくなってしまった。このため諦めて降りてきたのですが、同じときに登っていたある大学の山岳部は遭難してしまい、大騒ぎになっていました」。
行動力だけでなく、時には決断力も問われる登山から学んだ点は多い。その後の2回のチャレンジも、電車の脱線事故などにより目標を達成できなかった。
しかし、北海道の羅臼岳には一人で挑んで成功している。数年前には、地元の寅丸山という小さな山に登って地元の山に興味を持ったという。
もともと木村氏は、フットワークが軽い。地元の行事などには、いつも進んで参加し地域に馴染んでいる。地元の声を聞くと、「親しみやすい」「気さくな人柄」と人気が高い。特に婦人層には圧倒的な支持を受けているが、いさ子婦人の内助の功が大きいことは言うまでもない。
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2006年5月 1日 22:54
いま、公共の場でのマナーの悪さが問題となっています。昔から、「いまどきの若い者は」という言葉はよく耳にします。 しかし、最近では、道徳観の欠如が一般社会に広がってしまい、若い者だけに限られたものではなくなってきてしまいました。父の信仰心の影響ではありませんが、私はこの国を思うとき、「この国のバックボーンはどうするのか」と考えます。その昔、伊藤博文公も明治憲法を作るときに一番悩んだのが、憲法と、それと対になる精神的主柱なるものです。 西洋には、キリスト教というバックボーンがあります。
しかし、当時の日本には、その大きな柱に成り得るべきものがありませんでした。そこで伊藤公は天皇制をそのバックボーンにしようとし、また教育勅語を作りました。ところが、戦後、この両者は失われ、それらに代わるものがありません。その欠如が、今日の道徳の荒廃を生んでいる要因の一つになっているのです。ですから、教育基本法や日本国憲法の改正の議論が盛り上がっているいまこそ、これらと表裏一体である日本人の魂、バックボーンなるものをどうして創っていくのかを明確にしていかなければならないと思っています。
数学者であり、我が国固有の道徳観や情緒、形の大切さを、著者『国家の品格』で訴えておられる藤原正彦さん(お茶の水女子大教授)が、その書の中でいろいろと説いておられます。
その中でも、私が特に共感を覚えたのが、「人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できない」という一説です。
十年前のことだそうですが、日教組の教研集会で、傍聴していた高校生が「先生、なんで人を殺してはいけないのですか」と質問したそうです。すると、そこにいた先生達は、誰一人として論理的に説明できなかった。
これを聞いた文部省では、「人を殺してはいけない論理的理由」をパンフレットに作成している―と新聞に載っていて、これを見た藤原先生は笑ってしまったと、その著書に書かれているのですが、これは、私には笑えない話です。どうして「人を殺してはいけないか」「だましてはいけないか」ということを、理論的に説明すれば、反対意見も考えられるわけです。屁理屈は、挙げようと思えばいくらでも挙げることができる。
しかし、それはあくまでも"してはいけないこと"。 道徳とは一種の強制であって、論理的・合理的に説明できるものではないと断言する藤原先生のおっしゃるように恥を知り、卑怯な行いはせず、もののあわれを感じ、惻隠の情をいかに育んでいくか。子供のときからしっかりした躾をすることが大切になるわけです。
私は、中国の歴史がとても好きです。というのも、いま挙げた「惻隠の情」について、孟子は、これを「仁」の原始形態であると、すでに説いています。日本に伝わっている数々の教えの原型は孔子、孫子、孟子、荘子、老子、荀子などに拠るところが非常に大きいのです。
私は、作家・宮城谷昌光氏の著書を愛読しているのですが、彼の作品は古代中国に素材を求めたものが多く、私の興味を惹き、そして人生の指針を示してくれます。
最後に、私が最近、最も感銘を受けた彼の書から、その一説を紹介したいと思います。『奇貨居くべし 第五巻』(中央公論新社)
私は執政の席から退いた。しばらく秦の政治は醜悪になるかも知れぬ。その分だけ、中華の統一が遅れる。が、やむをえぬ。わたしは天命に順う。天命とは民意でもある。天が命じ、民が望むように生きるしかない。耐え忍べ、といわれたら、黙ってそうする。ただし、わたしの沈黙は退歩ではない。道をゆくということは、止まる所があるということでもあり、それをもたぬ歩行には、道がない。道をゆかない六頭立ての馬車は、道をゆく鼈(スッポン)に及ばない。私の旅はあてどない放浪になりかけていたのに、孫先生の偉さは、英才ばかりを教育せず、わたしのような蒙味で魯鈍な者にも、努力をしつづけることによって、英才にまさること教えてくださったことだ。たとえば、道は近くにあっても、行かなければ至らないし、小さな事でも、おこなわなければ成らない、というような教えには、先生の勇気が込められている。人に優劣があるとすれば、先生は、為すかあるいは為さざるのみ、とおっしゃった。人の差とは、やるかやらないかの差にすぎぬ。(本文より抜粋)仁、智、徳、礼、法、道、忠、孝、義などを交えた歴史を参考に、これからも、この国のあり方を考えながら邁進していきたいと思っています。
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2006年5月 1日 22:48

高松自動車道(さぬき三木~高松中央)、一般国道11号高松東道路開通式
(2001年3月29日)私が、この国のあり方や郷土を大切に思う心は、両親の影響によるものです。母は軍人の娘でしたので、筋が一本通っているというか、"びしっ"とした厳しいものがありました。しかし、その反面、愛情豊かに育ててくれました。そんな母を育てた祖父は、上原平太郎という香川県高松市出身の陸軍中将でした。日露戦争に従軍した際の貴重な記念写真の思い出があります。祖父は第二軍司令部に所属していたのですが、奥保鞏(おくやすたか)大将を中心に写っている記念写真には、祖父の真後ろに、なんと森林太郎軍医監が一緒に写っているのです。森林太郎と言えば、明治の文豪・森鴎外のことです。祖父は、鴎外と同じ釜の飯を食った仲だったのです。
私に人生の指針を、知らず知らずのうちに示していてくれた父は、元衆議院議員の木村武千代です。弘法大師以来、香川県は信仰心の厚い人が多いのですが、父もその一人でした。これも何かの縁かもしれませんが、父の姉と妹は二人ともお寺に嫁いでいます。
そんな父の経歴は、極めてユニークです。一高、東大から高文試験に合格し拓務省に入省、兵役で陸軍中野学校に入り、情報将校として南米各地を飛び回っていました。
その後、香川県で初めて大臣となった三地忠造代議士(高橋是清内閣の書記官長、田中義一内閣の文相・蔵相、犬養毅内閣の逓相、斉藤実内閣の鉄相、戦後、幣原喜重郎内閣の内相兼運輸相、枢密院顧問官)の秘書を務め、そのあと大映に入社しました。大映の社長である永田雅一氏には、随分と厳しく働かされたようです。大映では秘書部長、外国部長を務め、「羅生門」などの邦画を売り出すために、ここでも世界中を飛び回っていました。
父が衆議院議員に出馬した最初の選挙の時には、大映時代から親交のあった岸信介氏(当時=内閣総理大臣)に、随分と応援していただきましたが惜敗。二度目の選挙の時には、大映から女優さんが応援に入ってくださったのですが、却って、それが地元の女性の反感を買ってしまいまた落選。三回目のときには、凄い逸話があります。
これは、昭和38年の選挙になるのですが、当時は翌年の東京オリンピックに向けて、国内の道路が整備されている最中でした。どうやって、舗装整備される道が決まるかと言うと、それは当時の建設大臣・河野一郎先生の通る道が、その対象になったと言われています。父の三回目の選挙の時には、その河野建設大臣が父の応援に来られることになり、おかげで地元の道も舗装されて無事初当選。
しかし、世界各国を飛び回っていた父は、地元でもどこでも、世界情勢を熱く語るわけです。ところが、昭和30年代の後半頃と言えば、海外は庶民にとっては手の届かないところでした。選挙区で世界平和や高尚な国際論を述べても、理解されるはずがありません。後援会からも、「それは当選回数を重ねてから」と意見されても、国際情勢に明るかったから、黙ってはいられなかったでしょう。当選後の二度目の選挙はまた落選をしてしまいました。その後は、脳梗塞で倒れるまで連続5回、父は衆議院議員を務めさせていただきました。
昭和61年、病気の父に代わって私が衆議院議員選挙に出馬しました。
ところが、選挙には名前の漢字は異なるものの同姓同名の「きむらよしお」が出馬していました。どうもライバル候補の嫌がらせらしいのですが選挙戦に突入です。正しく「義雄」と書いてくださいと頼んでも字画が多いので大変です。「そんな細かい事を言うなら他の人を入れるぞ」と言われたりして散々でした。
7月8日、翌日開票の日、平仮名だけ等の判別のつかない票が2000票ありました。実は開票率99%の時点で、私は1000票差で次点にいました。ライバル候補はもう当選とばかり万歳をした直後、比例按分でほとんどの票が私にカウントされ劇的な逆転で当選することができたのです。当時の中曽根総理から「おめでとう、君がちょうど300番目の当選者だ」と祝いの電話を頂きました。
当選すると、中曽根康弘先生から「当選一回生の議員の任務は二回目を受かることだ」と言われました。私は、父の轍を踏まないように二回目の選挙には力を入れようとしていた矢先のことです。
当時独身だった私に対して、周りの方達から「次の選挙までに結婚しないと応援しない」と言われてしまったのです。ここで先程申し上げた、仲人さんの取り持ってくださった縁で、妻と巡り合い、結婚することができたわけです。
しかし、一度目の選挙の時もそうだったのですが、二度目の時にも、父と親交のあったミッチーさんこと渡辺美智雄先生には、私の地元へ選挙応援に入っていただくなど、随分とお世話になりました。ミッチーさんは、さまざまな点から、いろいろと具体的にアドバイスをしてくださるのです。本当にいつも親身になって相談に乗ってくださるし、当選してからも先生の宿舎に遊びに行くと、"にこっ"と笑って机の下からウイスキーを取り出し、「さぁ、やろう」と。ところが私はお酒が飲めませんので、ただただ眺めるばかりでした。
また、ミッチーさんが好きな東京・赤坂にある「三亭」というトンカツ屋さんに、よく連れて行っていただきました。そこでは、政治談議に花を咲かせたものです。
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2006年5月 1日 22:44
現在の我が国における社会保障制度は、戦後に積み上げてきたものです。高度成長期やバブル景気、そしてデフレと言われたさまざまな時代の変革を経て、現在の形になってきています。つまり、いろいろな方策がいろいろな方向に、まるで糸が絡んでいるような状態にあるわけです。これからは、この糸を解きほぐしていかなければなりません。ただし、解きほぐすだけでなく、これを新しい制度に組み替えていかなければならないのです。これから築く新しい制度については、公平で信頼できるものでなくてはなりません。また特に官民格差に着目しました。それは官が運営している限り高コスト構造はなかなか是正されないからです。
そのため、ここにも民間の活力を利用して低コストになるような工夫が必要なのです。この手法は、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)と呼ばれ、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法です。イギリスなどの先進国では既にPFI方式による公共サービスの提供がなされており、病院や学校、鉄道や橋に至るまでも、これらの公共施設等の整備・再開発などの分野で成果を収めています。また、我が国においても、既に法制化も整い、幅広く採用されています。このPFIの実現に向けては、平成九年、山崎拓先生が政務調査会長の時代に、私が副会長を務めたことがことがきっかけとなりました。ある日、山崎先生から「日本経済を活性化させる景気回復策を打ち出したいのだが、財政が厳しい。この矛盾を解決する方法はないだろうか」と尋ねられましたので、「PFIは極めて有効な政策手段であると思います」と申し上げたのです。
山崎先生は党内でも屈指の政策通ですが、人一倍の勉強家です。そのときも、ペーパーに書いた資料をお渡ししたのですが、翌朝にはそのペーパーに、ぎっしりと赤線が引かれていて、「これは面白いから、ぜひやれ」と、私の提言をすぐに支持してくださいました。さらに、PFI推進法の制定を具体的に検討する適切なアドバイスもしてくださいました。
政調会長時代の山崎拓先生は、資料をお渡しすると、翌朝にはきちんと答えをくださるのです。派閥の長であるだけでなく、政財界に通じておられる山崎先生は、夜の会合も数多くあるはずなのです。それにも拘らず、政策について相談すると、いつも翌朝には、きちんと答えて出してくださる。ほんとうに非凡な方だなあと思いました。
この数年来、国、地方自治体の厳しい財政状況のなかで、特に三位一体の名の下に、ますます厳しい財政運営を強いられています。より少ない財政負担で経済を刺激し、さらには経済インフラを整備し、あるいは住民福祉を充実する手段としてPFIは時代に合った政策と言えます。私はそう確認し、積極的に法案づくりに取り組みました。PFIの推進は、民間事業者への新たな事業機会の創出にもつながりますので、経済構造改革にも資することになります。
努力の甲斐があり、PFI法(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)は、平成11年7月に制定され、同年9月に施行されました。そして平成12年3月には「基本方針」が策定され、PFI事業の基本的枠組みが整えられたのです。
その後、私は党のPFI推進調査会長に就任し、制度がより理想に近づき、そしてより推進しやすくなるよう努力して参りました。
PFI基本方針が策定されてからこの3月で6年目になりますが、現在約229件以上の事業が開始、または実施することが決定されています。日本経済は持ち直してきたというものの、国民すべてが景気回復を実感するほどには、まだ至っていません。今後も経済活動を活性化する景気刺激策の手を緩めることなく、数々の施策を打ち出していかなくてはいけないと考えています。私は、その手段としてPFIを更に活用し、持続可能な社会保障制度の再構築をはじめ、山積する課題に果敢に取り組んでいく所存です。-
2006年5月 1日 22:41

厚生労働副大臣室で、いさ子夫人と父が脳梗塞で倒れたのは72歳の時でしたが、それから90歳で亡くなるまでの18年間、父の介護に携わりました。左半身が麻痺し、不自由な身体となった父に、少しでも元気を取り戻して欲しい。しかし、家族介護では限界があります、リハビリや回復治療ではなく病気治療を目的とする病院からは入退院を余儀なくされました。家族の願う治療を求め病院を転々としましたが、最終的には、理解ある病院に巡り合うことができました。
衆議院議員となっていた私は、初当選以来、厚生労働行政に取り組んでいましたので、介護保険の創設には現場の声を届けることもできました。国民の目線に立った活動に評価をいただき衆議院厚生委員長、厚生労働副大臣などの要職も務めさせていただきました。
しかし、平成12年に創設された介護保険制度は、介護を必要とする高齢者の日常生活を支える制度として大きな成果を挙げてきた一方、制度が定着してきたことに伴って、軽度の要介護の人々の増加、在宅介護と施設介護の問題等が明らかになってきました。
また、国民皆保険のもと、誰もが安心して医療を受けることができる現行の医療制度も、急速な少子高齢化、経済の低成長化など、大きな環境変化に直面しています。この国民皆保険を堅持し、医療制度を将来にわたり持続可能なものとしていくためには、医療制度改革が叫ばれていますが、どうも財政問題だけに力点がおかれ、現場感覚に欠ける面があるように思われてなりません。
当初、介護保険導入の議論が始まったときに一番懸念されていたのは、「保険あってサービスなし」ではないかということでした。そのため、高齢者のさまざまな要望に応えられるように、不必要と思われるものまでがサービスに含まれてしまったのです。その結果、保険料も上げざるを得ない状況に陥りました。せっかく定着してきた介護保険制度を長く存続させていくためには、本当に必要なサービスのみ絞って提供すればよいのではないでしょうか。
また、要介護の低い人は、簡単な筋肉トレーニングをすることによって身体の機能が改善される可能性があります。これはご本人の自覚の問題と言えましょう。
こうして実際の運用によって明らかになった改正点をまとめ、昨年6月、制度の持続可能性を確保するため、介護予防の推進、施設入居者に対するホテルコスト、つまり居住費や食費などの利用者負担などを内容とする介護保険制度改革のための法律案が成立しました。
ただ、介護を受ける側のことばかりを考え、対応しているのでは、この制度は維持できません。と言うのは、これから益々、少子高齢化が進んだ社会になっていきます。そんな状況の中で介護する側のマンパワーをどう確保するかが、特に大きな課題となってきました。ヘルパーさんや現場で働く方々の問題点、その中でも腰痛問題が、いまや深刻になってきているのです。よく、幼稚園の先生や保育園の保母さんが腰痛になって辞めるという話を聞きますが、確かに介護も重労働です。私は一昨年の夏、国内の施設を見て回ったとき、初めて気付いたのですが、介護保険ができてから、まだ数年しか経っていないためでしょうか、従事されている方は若者がとても多いのです。しかし話を聞くと、そんな若い人が多いのにも拘らず、腰痛問題で辞めてしまう方が多いということでした。しかし、自宅で介護している家族には、逃げ場がありません。
ドイツ連邦共和国連邦議会労働・社会委員会と懇談 (1996年5月)
同じ年、福祉関係の視察のため、イギリス、フランスに訪れました。すると施設職員の八割が外国人労働者で占められており、その受け入れが無くては、やっていけないという現状を目の当たりにしたのです。それまで、私は日本の治安を考えるとき、外国人労働者に対して否定的に思っていたのですが、これからの日本の少子高齢化の実情、所謂3K職場における若者の勤労意欲などを考えますと、新たなる外国人人材交流も選択できるような法整備や社会環境を作っていくことの大切さを痛感しました。
フィリピンでは、海外雇用庁という役所があって、海外向けの労働者の送り出しを国の事業として行っています。送る側の体制に頼るだけでなく、受け入れる側の我が国も確りした体制を整えれば、円滑に進むのではないでしょうか。今後は外国人人材交流基本法などを制定して、問題点が生じても、きちんとした解決策が図られるよう、よりよい方向に向けて努力していくことが大切だと思っています。
ドイツ連邦共和国連邦議会労働・社会委員会と懇談 (1996年5月)-
2006年5月 1日 22:38

一次小泉純一郎改造内閣で厚生労働副大臣に就任 (2列目中央、2002年10月)確か、2年前の正月のことです。愛媛に視察に入られる予定の小泉総理の秘書官から、私に連絡が入りました。
「木村さん、四国に行くのでせっかくだから総理に本場の讃岐うどんを食べて貰おうかと思っているのですが、どこか有名な店を紹介してくれませんか」。
私は思わず、「美味しいのは田圃の中の立ち食いの店か、あるいは地元のお年寄りの打った讃岐うどんが、天下一品」と伝えました。秘書官は、立ち食いの店では厳重な警備が迷惑になるのではないかと心配され、後者を選んだようです。
一月初め、瀬戸大橋の玄関都市である坂出市に、小泉総理がお見えになりました。地元の公民館では、地域の老人会のうどん研究会の面々が集まり自慢の讃岐うどんを打ちました。なんと言っても、打ち立てのうどんは美味いものです。小泉総理も舌鼓を打っておられました。
さて、香川と言えば、誰もが思い出されるのが琴平町にある金毘羅さんではないでしょうか。金毘羅さんは、琴平山(象頭山)の中腹にあるため、本殿へと続く石段は1368段(御本宮まで785段)にも及びます。「こんぴら、ふねふね」と唄われるこの歌からもわかるように、金毘羅さんは古くから船乗りの守り神として親しまれてきました。この風情ある町並みのすぐ近くには、金丸座という日本最古の芝居小屋が国の重要文化財に指定されています。ここでは、江戸時代の「かぶき芝居」を昔のまま味わうことができます。
ここから高松市をへだてて、私の出身地である津田町から山側に深く入ったところにある、四国八十八ヶ所の最後の札所、大窪寺は静かな観光地として根強い人気が絶えません。
私は、昭和61年の衆議院選挙初当選以来、郷土・香川で多くの有権者と語り合ってきました。県民の皆さんの要望や願いを国政に反映するため、これからも郷土・香川の発展に全力を尽くす決意ですが、そのためにも四国四県が一体となって国造りに取り組んでいく必要があると、いま強く感じています。
最近の調査によると、過半数を超える都道府県知事が「道洲制の導入」について賛成しています。少子高齢化が進んだ2050(平成62)年には、四国の人口は2000(平成12)年に比べて約3割ほど減少すると見られています。40数年後には、香川県が消失するくらいの人口減をもたらすなかで、いかに地域を活性させていくか。四国の未来を切り拓くためには、受け身ではなく積極的に道州制の導入に取り組んでいく必要があると思っています。
世界にはアイルランドのように、四国とほぼ同じ人口規模(約400万人)でありながら、個人所得が四国のおよそ二倍もある国も少なくありません。アイルランドやフィンランドなど、四国と同じ人口規模の国々を参考にしながら、四国四県の力を結集して総合力を発揮すれば地域として大きな成長の可能性があると考えています。
「四国四県は、豊かな自然、文化にも恵まれ、ものづくりの高い技術もある、極めてバランスの取れた土地柄。日本の縮図である四国こそ、道州制のモデルになるべき」という識者の声も高まっています。道州制の導入のためには、各県がばらばらに取り組むのではなく、毛利元就の三本の矢ではありませんが四国が一致結束、思いを新たに、積極的に道州制の論議を深め、できるだけ早く「四国州」を実現すべきと考えています。そのためには、香川、徳島、愛媛、高知四県の県民も、まずは「四国人」としてのアイデンティティーを確立することが大切です。
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